学校に行きたくない、と言い出した時
「学校に行きたくない・・・」
子どもが言い出した時、親としては「なんで?」と聞きたくなりますよね。
“原因を知って、その解決方法を考える=学校に行ける”
みたいな方程式で、子どもに「なぜ」「どうして」「どうしたい?」を投げかけていた時期がありました。
当然ながら、子どもは黙り込み、わたしはイライラがつのる。
今はわかります。
「学校に行きたくない」は
ただ単に、学校という場所に行きたくない、と言っているわけではない。
その奥に、いろんな、いろ〜んな本人の困りごと・心配事が隠れているわけです。
”Aちゃんとケンカしちゃったから”
”Bさんが意地悪するから”
そんな明確な理由であれば、それにどうやって対応しようか、一緒に考えるすべはあるけれど
本人にもわからない〈違和感〉だったり〈疎外感〉〈焦燥感〉なんかは、簡単には解決できません。
結局、本人も親もモヤモヤしたまま、学校に「体調が悪いので・・」と連絡をいれる。
そんな朝が続きました。
『いまどんな感じか?』を知る
おそらく本人も、言葉にできないツライ感じを、身体の感覚として味わっていたと思います。
頭が痛い、お腹が痛い、だるい・・etc.
なので、「本当の理由は他にある」と思っても、まずはその身体感覚をそのままに受け止め、寄り添ってあげることが大切です。
感情の言葉は口にできなくても、身体の症状なら声に出せる。それでまずは十分かな、と思います。
朝起きれなかったら、「眠い?」「ごはん食べる?」とか
元気がなさそうだったら「大丈夫?」「疲れた?」
そんなやり取りから、子どもが『今どんな感じか』を掴み取ってあげる。
と同時に、自分もいま、何を感じていてどういう状態か、をちゃんと言葉にして伝えました。
「お母さん、お出かけするからウキウキしてる」や
「心配事があってよく眠れなかった。弱ってる」
「仕事の〆切が近づいて緊張している」など
良いことも悪いことも、正直に表現してみる。
心の状態を言葉にする、というのは意外と難しいものです。
慣れていないと、またボキャブラリーが少ないと、おおざっぱにしか表現できなくて「ムカつく」「ヤバい」「だるい」なんて言葉しか出てこないときもあります。
ひと呼吸ついて、自分の状態をよく観察してみると、「あー、これだ」という言葉が見つかったりもします。
『これ聞いてどう思う?』
こうやって少しずつ、自分の状態を言葉にしていく中で、相手の状態に対しても「こうじゃないかな?」と推測してみるようにしました。
推測は、あくまでもこちら側の考え。
決して正解を当てようとか、相手の気持ちを代弁しようとかではなく、「わたしはこう感じてるんだけど」と伝える。
それに対して、相手はどんなふうに受け取るか。
『これ聞いてどう思う?』
わたしの言ったことが、まったくの見当違いなら「全然違う」と言ってくれればいい。
「そんなんじゃない!」と反論が飛び出してくることもあるだろうし、黙り込んでしまうかもしれない。
どちらにせよ、わたしの推測は、相手が、自分の心のうちを探索するための手がかりにはなるだろう、と思います。
「〇〇なの、△△なの?」と理由を問い詰めていた頃より
「ああかな、こうかな?」と気がかりを巡らせていた時より
「こうなのかな、と思ったんだけど、これ聞いてどう思う?」とたずねる方が、はるかに気分が軽い!
こうしたコミュニケーションのとり方は、NVC(非暴力コミュニケーション)を知って自然と身についたものです。
人間関係の根本にあるのは、「自分とのコミュニケーション」
自分がいまなにを感じ、どう思っているのか。
見過ごしがちな感情や、見ないふりをしている思いに気がついて、その声を拾ってあげる。
自分の内側にある、どんな感情にも居場所をつくる。
それができると、ほかの人とのコミュニケーションも変わっていきます。
来月から、少しずつNVCについてもコラムでお伝えしていければなあと思っています。
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